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*「タタド」 小池 昌代タタド 小池 昌代 単行本: 158ページ 新潮社 (2007/07) 昨日図書館で借りてきた本。 しこたま買い込んだ積読本が山とあるから、わざわざ図書館でまで本を借りなくてもいいようなものだが、これが本屋だと本を選んでお持ち帰りとなると、本の重みが増すごとにお財布は軽くなる。図書館ならば本の重みだけが増えるのがよいところである。手にした時の本の重さが好きなのだ。言葉の重みでもある。それを自分はどのように受け止めるのだろうか。手に触れるずしりとした期待が心地良い感覚を呼ぶ。 小池昌代さんは「裁縫師」を読みたいというのがあって、心に止めておいた名であったから、違う作品だけど読んでみようかなという気が起きた。 読んでみると文章のリズムとか、作品の持つ雰囲気とか、自分の好みにぴったりくる。みつけた。嬉しさに顔がほころんでしまう。この一冊が特別なのか、この作家が特別なひとりになるのか。他の作品を読むのはいずれまた。 20年連れ添った夫婦とそれぞれの友人。50代の男女4人が、海辺のセカンドハウスに集う。倦怠と淡い官能が交差して、やがて「決壊」の朝がやってくる-。表題作のほか「波を待って」「45文字」を収録した短篇集。 *「Presents」 角田光代このまま包装せずに、リボンだけかけてプレゼントというのもいいな、と思わせてくれる、優しい感じの可憐な装丁。リボンの色は贈る相手の方のイメージに合わせて、ああだこうだと考えるのも楽しそうだ。
この世に生まれて、初めてもらう「名前」放課後の「初キス」女友達からの「ウェディングヴェール」子供が描いた「家族の絵」―小説と絵で切りとった、じんわりしあわせな十二景。 *「モノレールねこ」 加納朋子モノレールねこ 加納 朋子 昨日から繋がる今日という日。明日へ繋げる今日という日。何の支障もなく繋がっていくと思っていたものが、突然連続性を失うことがある。なんの話かというと、繋がらなくなったもの、それはウチのパソコン(性別不明)のことなのである。 話は先週に遡る。前日まではサクサクとネット接続できていたのに、昨日の終わりと今日の始まりの間に何が起こったのか繋がらない。昨日の別れ際、何かご不興を買うようなことをしでかしてしまっただろうか。まあ明日になればご機嫌が直るかもしれないと電源を落とす。 あくる日、ささやかな期待はクールな接続拒否で霧散する。 いったいどうしたものか。 画面の前でフリーズすることしばし(その心はプリーズ ヘルプ ミー) さて繋がらない話はひとまずおいといて、『モノレールねこ』の感想といきましょう。 加納さんの作品を読むのは初めてだ。『ななつのこ』、『さらさや』、『掌の中の小鳥』と、読みたく思う本が何冊かすぐに浮ぶほどなのに、これまで読むタイミングが自分の中で巡ってこなかった。きっかけはまったり読書日記のエピノートさん。レビューの言葉に触発され、買ってしまいましたよ。 初加納さん本は、温かく、不思議のニュアンスも漂わせながら、じーんと気持ちを熱くさせる8つの短編集。 *「ハミザベス」 栗田有起ハミザベス 栗田 有起 「お縫い子テルミー」がことのほか気に入ったので、他の作品も読んでみようかということで図書館から借りてきた。第26回すばる文学賞受賞の表題作「ハミザベス」と「豆姉妹」の2編収録。 ありふれた日常とは少しだけ離れたところにいる登場人物達。はたからみると家庭環境もその身に起こることも、いくらか深刻で突拍子もないことと思える。それを作者は軽快なリズムを刻む文章で、明るい笑いとともに描いていく。だからありえないような設定も、読んでいて不快な気持ちにも、どんよりと暗く重量をもってこちら側にのしかかってくることもない。その点では構えることなくすんなり読める作品。 「ハミザベス」は更年期障害を向えた母の梅子と娘のまちるが、死んだと思っていた父から突然遺産を受けるところから始まる話。 「豆姉妹」は双子のようによく似た年の離れた姉妹の話。 JUGEMテーマ:読書 *「お縫い子テルミー」 栗田有起お縫い子テルミー 栗田有起 本のタイトルに惹かれて買ってみた。 流しの仕立て屋テルミーの、決して交わることのない叶わぬ恋を描く表題作「お縫い子テルミー」と、小学五年生の男の子小松君が経験する夏休みをユーモラスに綴る「ABARE・DAIKO」の二編収録。 どちらの作品もよかった。まずは「お縫い子テルミー」から。 *「この本が世界に存在することに」角田 光代 一生のうちに一体何冊の本を読むことができるのだろう。 かつては未知なる世界を抱え込んだ無数の本があることを思い、愕然とした気持ちになることもあった。 とても全部読みきれない。 あとがき、エッセイ交際履歴は著者の本との交際履歴を綴ったもの。本に対する思いは同じ本好きならば共感できるところが多いのではないだろうか。 無数の本があって、自分なんか及ばないほどたくさんの本を読んでいる人がいる。著者は五百倍、千倍と書いているが、そんな読書人に追いつこうという努力は無駄だと。 私は呼ぶ本を一冊ずつ読んでいったほうがいい。 そう、本は人を呼ぶのだ。 *「スキッピング・クリスマス」*「嗤う伊右衛門」嗤う伊右衛門 京極 夏彦 お岩さんの話は、鶴谷南北の「東海道四谷怪談」で広く知られる有名な怪談話だ。 伊右衛門の裏切りから、恨みの果てに命を絶ったお岩の想いは、人の世に仄暗く咲く怨念となって、伊右衛門の前に現れることになるが…… 京極夏彦は南北の「四谷怪談」を、至上の愛の物語として紡ぎ出してみせる。 | 1/1PAGES |
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