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*「ハヅキさんのこと」 川上弘美川上 弘美 / 講談社(2006/09/30) Amazonランキング:163675位 Amazonおすすめ度: ひとつひとつの話はとても短い。作者の川上さんが、ふっと手のひらに息を吹きかけて生まれた、吐息のような話ばかりである。もともとはエッセイを、という約束で書かれたものだそうだ。エッセイのような小説にどれほどの本当が含まれているのか、いないのかはわからない。それは別として、淡く時にコワサの覗くこの世界は、やはり川上さんのものだと感じることが出来る。 虚と実のあわいを描く掌篇小説集。 *「溺レる」 川上弘美溺レる 川上 弘美 重ねあった盃。並んで歩いた道。夜が過ぎる部屋。そして、二人で身を投げた海……。時間さえ超える八つの恋ごころを描いた掌篇集 ふとしたきっかけで言葉を交わすようになる。 男と女、男と女であるが故に、距離感が微妙に揺れる。普通の顔見知りというほど薄い空気でもない。身体と気持ちが互いに入り込むほどに濃密でもない。どちらへ傾いてもいいような、宙ぶらりんの空気感にいる男女を描いたのが「さやさや」 あわく内心震えるような空気。男女の間にたちこめる空気のゆらめき。何気ない日常の同一線上に、少しだけ温度が上昇する場面を、物語りとして読ませてくれる。ほんとさり気ないのだけど、好きなところでもある。 ふとした弾みで深い仲になる。 いつしか抜き差しならない関係になっている。深刻で、切羽詰って、ぎりぎりだというのに、場面はどんと重く沈まない。どこか遠くにもうひとつ視点があるような主人公たちだからだろうか。男女の濃い桃色描写も、エロっぽさの上澄みだけをすくい取ったような、まろやかで純度のあるものに感じられる。 7つの恋の情景は淡く、茫洋として、コワサも潜んでいる。考えてみると川上さんの作品は、コワサを含むものが多いかもしれない。 さやさや 溺レる 亀が鳴く 可哀相 七面鳥が 百年 神虫 無明 (2007年4月2日読了) 1999年8月10日発行 文藝春秋 *「いとしい」 川上弘美いとしい 川上 弘美 母性より女性を匂わせる母と、売れない春画を描く義父に育てられた姉妹ユリエとマリエ。温かく濃密な毎日の果てに、二人はそれぞれの愛を見つける。高校教師になった妹マリエは教え子のミドリ子の兄と恋に落ちるが、ミドリ子の愛人は母の恋人だった……。芥川賞作家が描く傑作恋愛小説。 ユリエとマリエは十一ヶ月違いの姉妹。ごっこ遊びに興じたり、義父が描く春画をまねて男女の性愛を想像してみたり、といった少女期特有の空想世界を抜け出し大人になったふたりは、それぞれに恋をする。 *「古道具 中野商店」 川上弘美古道具 中野商店 川上 弘美 だからさぁ、と唐突に話を始めるのが癖の中野さんが営む店は古道具屋。高値の品物が並ぶアンティークではなく、あくまでも古道具ということにこだわりがあるらしい。東京近郊の小さな古道具屋中野商店に集う店主の中野さん、姉のマサヨさん、アルバイトとして働くヒトミとタケオ、中野さんの愛人サキ子さん、怪しげな常連客らが繰り広げる、懐かしい匂いを伝える小説。 *「パレード」 川上弘美パレード 川上 弘美 時間が通り過ぎていく。振り返ると懐かしい場所、懐かしい出来事、懐かしい人の顔が浮んでくる。それは本の中の人であっても同じこと。言葉が伝えようとする感情の襞をなぞり、同じ風景を見た。とっても近くいたように思えた。現世に在る人でも、自分の世界に息づいていない人達はたくさんいる。そう考えればセンセイとツキコさんは、確実に自分の中に息づいている存在だといえるのではないか。 『センセイの鞄』の外にある、私達の知らないセンセイとツキコさんの時間。ツキコさんがセンセイに物語る子どもの頃の話。まどろむある夏の午(ひる)さがり、ツキコさんの言葉の響きと、センセイの手の温もりに、ふんわりと包み込まれるような気がする物語。 *「センセイの鞄」 川上弘美センセイの鞄 駅前の居酒屋で高校の恩師と十数年ぶりに再会したツキコさんは、以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは島へと出かけた。歳の差を超え、せつない心をたがいにかかえつつ流れてゆく、センセイと私の、ゆったりとした日々。 「BOOK」データベースより 淡々とした想いに揺れながら、ゆったりと流れていくセンセイとツキコさんの時間が、独特の淡い文章で優しく描かれている。 *「おめでとう」 川上弘美おめでとう 川上 弘美 ありがとう!ほぼ条件反射に近い。「おめでとう」と言われたなら、「ありがとう」と返す。場合によっては「いや、いや、そんなたいしたことでは」とか少し困ったふうに謙遜してみせる。でも、内心は嬉しくて嬉しい。または素直に言葉がついて出てきた「ありがとう」になるかもしれない。「おめでとう」のある場面を、読む前になんとはなしにいくつか思い描いてみたのである。 短編集の中で「おめでとう」の話はいちばん最後に出てきた。あ!忘れていたよ。日本全国津々浦々、誰かれとなく「おめでとう」の言葉を交し合う大事な日があるではないか。新年のご挨拶というのがあったわねと思う。そっちの「おめでとう」だったのか。後ろの初出一覧を見て、2000年1月3日の「朝日新聞」に掲載されたということからも、おおいに納得させられた。 | 1/1PAGES |
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