*スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
*「北緯四十三度の神話」浅倉 卓弥 北緯四十三度に位置する北の街は、いま長い冬のただ中にある。すべてを包み込むように白い雪に覆われた風景。先の見えない吹雪の中を歩めば、どこか異界に運ばれるようでもある。 浅倉卓弥の「北緯四十三度の神話」の主人公は、桜庭菜穂子と和貴子の姉妹。現在姉の菜穂子は大学の研究室に助手として勤務、妹の和貴子は地元ラジオ局でDJをしていた。 このひとつ違いの姉妹は表面的には普通に接しているようでいて、外からは窺い知れない溝のようなものを抱えている。その理由を知るには、いくらか過去に遡ることになる。 東京の大学に進学した和貴子が就職で地元へ戻ってくる。半年後、和貴子が婚約者として家に連れてきたのは、菜穂子もよく知る樫村宏樹だった。 その樫村が事故で亡くなって以来、姉妹の間には深い溝ができる。樫村というひとりの男を軸に、ふたりがそれぞれ抱く想い。長年、互いに触れないように、相手に訊かないように、言わずにいた想いが、降り積もった幾層もの雪の下に覆い隠されるかのように、ふたりの間の冷たい距離となって横たわっていた。 *「体の贈り物」レベッカ・ブラウン 話す、食べる、歩くといった、普段の日常生活であたり前のように行なっている行為が、あたり前のことでなくなっていく中で、失われたものが多くなるほど、自分に残された“できること”が大きな意味を持つようになる。 ほんのささやかなことだけれど、とても大切なことでもある“できること”に託される希望と自負。 重い病に侵されサポートを必要とする人の元へ、UCS(アーバンコミュニティサービス)からホームケア・エイドとして派遣される主人公の私。 エイド先のリック、ミセス・リンドロム、エド、マーティ、キースらとの触れ合いが、11の短篇として綴られている。 11の物語は涙の贈り物、肌の贈り物、姿の贈り物と、どれにも「何々の贈り物」というように、贈り物という言葉がタイトルに付されている。重い病を患うエイド先の彼らが向う先はひとつだ。これは決して奇跡の物語ではない。奇跡が起こす感動の物語ではない。けれども、確かにそこに何かしらの贈り物があることを感じ取ることができるだろう。 *「雪の結晶 冬のエフェメラル」小林禎作 北海道大学図書刊行会 樹枝状六花、広幅六花、扇状六花…… 白い息にのせ 呪文のように呟いてみる 見えない宙(そら)からふいと現世に舞い出で 同じものは ふたつとない この世にただひとつだけの形を結ぶ雪の花 そんな雪の結晶のポートレートが収められているのが 「雪の結晶 冬のエフェメラル」 *「恐るべき子供たち」ジャン・コクトー 恐るべき子供たち(小説) 雪で白く覆われたシティ・モンティエ。そこには雪合戦に興じる少年達の姿があった。ポールはひとりの少年を探して雪玉の飛び交う中を走る。 ダルジェロス、それが目指す少年の名前だった。 美の特権は素晴らしいものである。美を認めないものにさえ働きかけるのだ。 ダルジェロスは学校中での大将であり、彼の存在は物語中ずっとポールの心に影を投げかけ続ける。いつもどこかにその存在が息づいているかのようだ。魅惑的な悪魔の囁きのように、ダルジェロスの影はポールを密かに支配する。 この夜、ポールが胸に受けるダルジェロスの雪玉の一撃は、物語終盤にきて黒い球形の毒薬へと形を変え、ポールに死という最後の一撃をもたらすのだった。 *「白鳥異伝」荻原 規子 二人でひとつであるかのようにして、三野の里で一緒に育った遠子<トオコ>と小倶那<オグナ> 遠子は遠い上代(カミヨ)に輝の末子に嫁いだ水の乙女と同じ、闇の一族の一系に繋がる血を受け継ぐ橘の姫であり、小倶那は母真刀野が川で拾った養い子だった。 都から輝の大王の命を受けて三野を訪れた大碓皇子との出会いは、遠子と小倶那の運命を大きく変えていく。 都へ向う小倶那に遠子は言う。 小倶那にもう一度会えるときまで、お宮になんか行かない、女になんか絶対にならないわ。ここでずっと待っているから、帰ってきて 離れ離れになり、互いの血に流れる定めに、思いもよらないところへ運ばれていく二人の運命がいき着く先を、最後まで固唾を飲みながら読んだ。 *「風流冷飯伝」米村 圭伍 米村圭伍の退屈姫君シリーズは、現在3作目の『退屈姫君恋に燃える』まで出ている。2作目からは文庫書下ろしとなった人気シリーズだ。 1作目の『退屈姫君伝』を読み、この小説が持つなんともいえないのほほんとした、それでいて味わいのある雰囲気にすっかり嵌ってしまった。そうとなれば一刻も早く続きを読みたいと気持ちが急く。さっそく他の2冊を購入、いざめだか姫の待つお江戸へ参ろうと読み始めたら、いきなり出鼻を挫かれることになる。 『退屈姫君伝』のめだか姫が嫁いだ先というのが、四国は讃岐にある小藩風見藩なのだが、著者自らシリーズ2作目の本文中において、『退屈姫君伝』、『風流冷飯伝』も合わせて読むと、さらに一層楽しめると書いているではないか。 『退屈姫君伝』は読了済である。が、『風流冷飯伝』は未読。このまま読んでしまおうか、著者お勧めの順番に従おうか。 結局、著者の言葉に従って今回取り上げる『風流冷飯伝』を先に読んだ。 本書に辿り着くまでの事の成り行きを長々と書いたのも、これから米村作品を読んでみようかと考える方が、“さらに一層楽しめる”ようにと願ってのことだ。 『風流冷飯伝』、『退屈姫君伝』と順にいくのがベストだが、逆でも構わない。シリーズ1作目を読んで、もしこのシリーズがお気に召した時は、次に行く前に『風流冷飯伝』を読んでみるとよいと思う。 まずは本書の舞台となるのは四国は讃岐にある、二万五千石の吹けば飛ぶような小藩風見藩だ。そこへ江戸から幇間(タイコモチ)の一八がやってくる。一八は『退屈姫君伝』に登場したお仙の兄で、四国に行ったきりの一八の事の顛末をこの作品で知ることができる。またシリーズでお馴染の江戸お庭番の倉地政之助もここからの登場だ。 風見藩には男は城を左回りに、女は城を右回りに回るという習わしがあった。そんなこととはつゆ知らず、城を右回りに回って歩いていた一八は、すぐに余所者と知れてしまうのだ。 *「博士の愛した数式」 小川洋子小川 洋子 「僕の記憶は80分しかもたない」 家政婦の『私』は10歳の息子と暮らすシングルマザー。彼女が組合から派遣されたのは、交通事故により記憶が80分しかもたないという『博士』が住む離れの家。 元数学者だった64歳の博士の記憶は、事故のあった1975年で途絶えている。それ以後は1分の狂いもなく、きっかり80分、蓄積されない記憶が繰り返されるだけだった。 博士は大事なことを忘れないようにメモに書いて、自分の背広に止めてあった。背広はメモでいっぱいだった。 「僕の記憶は80分しかもたない」というメモを読む度に、博士に突きつけられる現実があったろう。しかし、数学の美に寄り添い、そこに訪れる静かな至福に身を置く時の、博士の心は幸せだった。 数学を愛する博士がとりわけ愛したのは素数、と子供。 頭を撫でながら博士は10歳の息子に『√』という愛称をつけた。 博士によるとどんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号が√なのだ。 博士といつも新しい家政婦である主人公の二人に息子ルートが加わり、繊細で優しく響く擬似家族的な三人の物語が動き出す。 *新年のご挨拶あけましておめでとうございます。 2006年1月2日、今日の札幌は雪が舞うお天気。 “雪は天から送られた手紙である” との言葉を残したのは中谷宇吉郎氏でした。 降っても降ってもまだ降り続く雪の結晶が、 無言のうちに幾層にも重なって、 そこにはどれほどの想いがあるのかと想像します。 想いが言葉を纏い、連なって、 珠玉の物語が生まれていく。 今年も本を読む幸せを感じる一年でありますよう。 人に、本に、出会いの喜びを感じる一年でありますよう。 昨年、このブログにお越し頂いた皆さま、 足跡を残していって下さった皆さま、 ほんとうにありがとうございました。 12月はひと月お休みしましたが、 またぼちぼちとマイペースで更新していきたいと 思っております。 どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。 365日目に自分が残してきた足跡を振り返った時、 自分に頷ける一年でありますよう、 皆さまにとって充実した一年となることを、 心から願っております。 | 1/1PAGES |
|
ABOUT
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
TRACKBACK
ありがとうございます
COMMENTS
ありがとうございます
LINKS
MOBILE
OTHERS
|