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*「きつねのはなし」 森見登美彦京の骨董店を舞台に現代の「百物語」の幕が開く。注目の俊英が放つ驚愕の新作。細長く薄気味悪い座敷に棲む狐面の男。闇と夜の狭間のような仄暗い空間で囁かれた奇妙な取引。私が差し出したものは、そして失ったものは、あれは何だったのか。さらに次々起こる怪異の結末は―。端整な筆致で紡がれ、妖しくも美しい幻燈に彩られた奇譚集。 *「四畳半神話大系」 森見登美彦四畳半神話大系 森見 登美彦 右に行こうか、左に行こうか。パンにしようか、ご飯にしようか、はたまた猫ラーメンにしようか。目の前にあるいくつかの選択肢からひとつを選ばなくてはいけない場面というのは、人生において多々あることだ。 人生、それが昼時のメニューを決めるという一見重みのない選択であっても、後々に大きな影響を及ぼすことだって在り得なくはない。いま在る自分は枝分かれした道を、これと選んで歩いてきた結果でもある。でも、もしもあの時別の選択をしていたら、いまとは違う自分がいたのだろうか。 「四畳半神話大系」は人がふと思う“もしもあの時”を、森見さんらしく妄想爆笑風に描いてみせた作品だ。 大学三回生の春までの二年間を思い返してみて、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。―『太陽の塔』(第十五回日本ファンタジーノベル大賞受賞作)から一年。無意味で楽しい毎日じゃないですか。何が不満なんです?再びトンチキな大学生の妄想が京都の街を駆け巡る。 *きょうの料理 ビギナーズNHK きょうの料理ビギナーズ 2007年 04月号 [雑誌] NHK きょうの料理ビギナーズ 2007年 05月号 [雑誌] いつも本屋に行くと必ずチェックするのが料理本のコーナー。 いまどきの料理本は料理の完成品と手順&レシピを紹介するといった決まりきった形式からはずれて、食べるシュチュエーションが浮ぶようなのもあったり、見せ方に工夫が凝らしてあって楽しい。 料理本のコーナーで見つけたのではないが、昔からある「きょうの料理」の初心者向け雑誌として出たのが「きょうの料理 ビギナーズ」 創刊4月号はキャベツ、5月は豚肉と、毎回主要なテーマごとに特集が組まれるようだ。サイズもちょっと大きめのA4版で見やすい。こういう料理雑誌はつい買ってしまうことが多い。いやいや、別に料理上手にとか、美味しいものつくるぞ〜とかいう気はさらさらない。(え?あはは……そうなのよ)でも、買ってしまうんだよね。 面白いと思ったのは「bルーム」のページだ。 *「溺レる」 川上弘美溺レる 川上 弘美 重ねあった盃。並んで歩いた道。夜が過ぎる部屋。そして、二人で身を投げた海……。時間さえ超える八つの恋ごころを描いた掌篇集 ふとしたきっかけで言葉を交わすようになる。 男と女、男と女であるが故に、距離感が微妙に揺れる。普通の顔見知りというほど薄い空気でもない。身体と気持ちが互いに入り込むほどに濃密でもない。どちらへ傾いてもいいような、宙ぶらりんの空気感にいる男女を描いたのが「さやさや」 あわく内心震えるような空気。男女の間にたちこめる空気のゆらめき。何気ない日常の同一線上に、少しだけ温度が上昇する場面を、物語りとして読ませてくれる。ほんとさり気ないのだけど、好きなところでもある。 ふとした弾みで深い仲になる。 いつしか抜き差しならない関係になっている。深刻で、切羽詰って、ぎりぎりだというのに、場面はどんと重く沈まない。どこか遠くにもうひとつ視点があるような主人公たちだからだろうか。男女の濃い桃色描写も、エロっぽさの上澄みだけをすくい取ったような、まろやかで純度のあるものに感じられる。 7つの恋の情景は淡く、茫洋として、コワサも潜んでいる。考えてみると川上さんの作品は、コワサを含むものが多いかもしれない。 さやさや 溺レる 亀が鳴く 可哀相 七面鳥が 百年 神虫 無明 (2007年4月2日読了) 1999年8月10日発行 文藝春秋 *「ふしぎな図書館」 村上春樹ふしぎな図書館 村上 春樹 『トレフル』の1982年6〜11月号に連載された「図書館奇譚」を改題改稿。「図書館奇譚」は掌編集『カンガルー日和』に収録されている。 ちょうど片手にのってしまうほど小ぶりな大きさ。箱入りケースに収められた本は、濃いオレンジ色をしている。これがこんがり揚がったドーナツを想像させて、本なのに美味しそうに見える。(最近かなり重症なドーナツ病であるかもしれない)クッションが入っているのか、ふかふかした手触りなのも面白い。 表紙、文中のイラストはともに佐々木マキさん。 村上春樹作品にはお馴染の羊男も出てくる。羊男の作る美味しそうなドーナツが食べたいなぁ。とはいえ、たとえドーナツの匂いに誘惑されようとも、地下室に行くのだけはごめんである。脳髄をジュルジュルはよして〜、とこれは美味しいドーナツとは逆に、なんて不味いことだろう。恐ろしきかな。 不運な状況に陥ってしまった主人公は、図書館の地下から脱出できるのか。 図書館を利用することも多い現在。図書館に行けなくなると困るので、ふしぎな図書館はいりません。普通の図書館がよいです。 本の結末はどうなんだろう。良きこともあり、悲しきこともありで、寂しく、不思議な感覚に取り残されて終わる。 地下室に閉じ込められてはいないけど、本が読みたい、本が読みたい、本が欲しい、と活字の迷路を彷徨っていることを考えてみると、そう違わないか。いやいや、読みたい本を読める自由だけは確保されている。新しい本を手にする時の幸せに浮かれつつ、今日も楽しく本を購入してきた♪ (2007年4月1日読了) *「雪屋のロッスさん」 いしいしんじ雪屋のロッスさん いしい しんじ 人の名前だとか、たまに間違ったまま覚えてしまい、錯誤に気づいてからも正しい呼び方が上手く記憶に上書きされないことがある。 ロッスさんも、どういうわけかロッシさんになる。ロッスさん、ロッスさんと頭で繰り返すが、ふいにロッシさんがこんにちはと顔を出す。違う違うロッスさんだよね。そうそうロッシさん、という按配だ。なぜだろうと考えて思い当たったのがロッシーニ。歌劇『セビリアの理髪師』などの作曲で有名なロッシーニだった。ロッシーニという単語のほうが記憶に馴染んでいたのか(ロッシーニの曲自体は馴染みがないのに)、ロッときたらシとじゃが芋を掘り起こすように芋づる式に、正しきスを差し置いてシがまかり出てきたようだ。 多少の混乱はあったものの、本を読んでやっとロッスさんが記憶に馴染んだようだ。とは言いつつ、ロッシさんがロッスさんの背後で、虎視眈々と前に出る機会を窺っているかもしれない。負けるなロッスさん! ロッスさんとロッシさんの話はさておき、この本は30の仕事とそれに携わる人々の物語だ。 ひとつひとつの話はとても短い。人生という長距離走で身体をすり抜けていく一瞬の風景を、温かさと悲哀の混じった絶妙な配色で描き出す。次はどんな職業、どんな人だろうかと先を読み急ぎたくなる魅力溢れる物語。どこか不思議な雰囲気のある珠玉の短編集だと思った。 次へいきたいが一話ごと余韻にも浸りたい。ひと月が30日ある月に、ひとつずつ読めばよかったと思い至ったのは、半ばに差しかかろうという頃だ。ああ、惜しい。もっと惜しいのは図書館本だということ。考えてみれば30日計画は端から無理な話だったか。 *「いとしい」 川上弘美いとしい 川上 弘美 母性より女性を匂わせる母と、売れない春画を描く義父に育てられた姉妹ユリエとマリエ。温かく濃密な毎日の果てに、二人はそれぞれの愛を見つける。高校教師になった妹マリエは教え子のミドリ子の兄と恋に落ちるが、ミドリ子の愛人は母の恋人だった……。芥川賞作家が描く傑作恋愛小説。 ユリエとマリエは十一ヶ月違いの姉妹。ごっこ遊びに興じたり、義父が描く春画をまねて男女の性愛を想像してみたり、といった少女期特有の空想世界を抜け出し大人になったふたりは、それぞれに恋をする。 *今日の朝食 今日の読書今日は朝から外食、朝からかに丼を食べるという、GWにふさわしい(?)贅沢な朝食から始まった。 *「スプートニクの恋人」 村上春樹スプートニクの恋人 村上 春樹 宇宙の暗闇にぽっかりまあるい地球が浮んでいる。衛星スプートニク2号に乗せられたライカ犬は、どんな思いで地球を見ただろうか。深閑とした宇宙の静寂を、孤独と不安を乗せて地球を周回する衛星は、あまりに寂寥として哀しい気持ちになる。 22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。―― そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・ストーリー!! 職業的作家を目指すすみれと、彼女が恋に落ちた「ミュウ」という愛称で呼ばれる年上の女性との成り行きを、ぼくの視点から物語っていく話だ。 もともとぼくとすみれは同じ大学の先輩と後輩にあたる。ふたりに共通するのはともに熱心に小説を読む人間であったということ。ぼくはすみれに恋をしていた。それでいてふたりの距離は、あくまでも「友だち」という位置を維持し続けている。 同じ軌道上をいくふたりに起きた変化、というより片方だけが変わっていったのだが、それはすみれが恋をしたことだった。 | 1/1PAGES |
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